AppleInsider: Mac OS X Leopard に向かって: Spaces

Road to Mac OS X Leopard: Spaces

By Prince McLean

Published: Thursday, October 11, 2007 09:00 AM EST


Spaces は Mac OS X Leopard ではまったく新しい機能だが、仮想デスクトップ -- そして複数デスクトップ -- というアイデアはかなり以前からあった。 ここではその新しい点と Apple が Spaces で採用しているアプローチが異なる点、仮想デスクトップがこれまなぜ問題にぶちあたってきたのか、そして Leopard の Spaces がどの程度実用的に使えるのかを見ていく。


このレポートは、仮想デスクトップ (Spaces) の起源、歴史、そして成熟の過程の理解のためにかなりのスペースを割いている。 時間のない、あるいは Leopard で予定されている機能にしか興味のない読者は、本レポートの ページ 2 へとジャンプされたい。


Spaces の起源: Xerox Rooms

ひとつのシステムでひとりのユーザが複数のグラフィカルなデスクトップを利用するというアイデアは 80 年代半ばまで遡る。 仮想デスクトップの初めての実装が、グラフィカルコンピューティングの四大文明のひとつ Xerox PARC にあるといってもあまり驚かないかもしれない。 Xerox はこのアイデアを 1986 年に「Rooms」という名称で特許登録している。 Rooms のアイデアでは、ユーザがグラフィカルなデスクトップの領域を画面領域を超えて拡大できるようにし、特定の「Rooms」つまり仮想デスクトップの領域から画面サイズのかたまりを呼び出せるようにしていた。

80 年代初頭、AppleXerox のグラフィカルデスクトップコンピューティングの要素を、オフィス・ホームユーザのための消費市場に導入した。 Mac のグラフィカル環境は「デスクトップ」と呼ばれ、実行可能形式、ファイル、そして「アプリケーション、ドキュメント、フォルダ」としてのサブディレクトリなど、コンピューティングのアイデアをオフィス用語を使って表現した。 Mac オペレーティングシステムの限界 -- 高価な RAM によるところが大きい -- から Mac では Lasa のようなより高価な先行機のようには、複数のアプリケーションを同時実行できなかった (この経緯については Office Wars 3 - How Microsoft Got Its Office Monopoly を参照のこと)。 この制限によって、初期の Mac ユーザが複数デスクトップを必要とする理由がほとんどなかった。なぜならそれを使ってできることなど何もなかったからだ。


Mac Switcher と複数デスクトップ

テクノロジーの急速な発達によって常に、新機能の新しい応用方法や要求が生み出されてきた。 一年としないうちに、Andy Hertzfeld が、テキストベースの DOS ユーティリティにヒントを得た 1985 Switcher を送り出した。 Switcher Ellen Feiss の登場 2 年前に、Hertzfeld の Switcher によって、限られた RAM しか持たない Mac でもアプリケーションの切替が可能になり、キーを一回押すとアプリケーションがスライドして消え、別のアプリケーションがスライドして入ってくるというものだった。 Hertzfield はこの開発の様子を Folklore.org: Switcher で明かしている。


Leopard Spaces

Switcher は 1987 年には MultiFinder によって引き継がれた。これによって Mac ユーザは、同じデスクトップ内ですべてのアプリケーションを実行したまま切り替えることができるようになった。 同じ年に AppleMacintosh II と Mac SE/30 という、カラーグラフィックスと別途アップグレード可能なグラフィックスカードを採用した初めての Mac アーキテクチャをサポートした新しい 2 種類のシステムをリリースした。 新しいハードウェアの登場と同じくして新しいソフトウェアも登場した。 Color QuickDraw だ。

Color QuickDraw もまた、複数モニターをサポートするという業界初の機能を提供した。 複数のビデオカードが装備されていれば、ユーザは複数のディスプレイを接続でき、それぞれでデスクトップ空間の別のスペースを表示できた。 これらディスプレイは共に、大きな仮想デスクトップ空間の一部に接続されていたため、ひとつのスクリーンからもうひとつのスクリーンへとウィンドウをドラッグしたり、2 つのディスプレイを跨いでウィンドウを置くこともできた。 一部のアプリケーションは、複数モニターをサポートするためにアップデートが必要だった。というのも、そうしたアプリケーションは、通知を画面上に表示するにあたって、単一ディスプレイを想定していたからだ。

Mac がデスクトップ出版およびグラフィックデザインの分野で地歩を固め始めると、難なく複数ディスプレイを扱えるというこのユニークな機能は主要な機能となっていった。 複数モニターのサポートは特に便利だった。というのも、標準的なディスプレイを 2 台購入するのは、同じ合計解像度を持つ大きなモニターを一台購入するよりも安かったからだ。 Apple を使うグラフィックデザイナーらは、Mac での仮想デスクトップは求めなかった。というのも、彼らは本物のディスプレイで複数のデスクトップを一度に把握したがったからだ。


Leopard Spaces


Amiga の複数スクリーン

グラフィカルデスクトップを開発していた他の企業は、異なるアプローチで異なるユーザニーズに応えようとした。 Commodore の Amiga は 1985 年に、自社のグラフィカル環境 (と Finder の類似物) を呼ぶにあたって、AppleMac でしたようにオフィスのデスクトップに例えるのではなく、「Workbench」という呼称を使った。 Amiga は、実行可能形式やファイル、そしてサブディレクトリを、「ツール、プロジェクト、そしてドローワ」と読んでワークショップ用語を利用した。

Amiga はまた、ビデオゲームに一般的だったグラフィックスアクセラレーションのために特別なハードウェアを採用するという点で新境地を行っていた。 これによって Amiga は、ビデオ信号の上にビデオ出力を同期させたりオーバーレイさせることができたため、ビデオやカラーグラフィクスの作業において理想的であるとされるようになった。 Mac がデスクトップ出版を行ってレーザープリンタに出力するという作業を行う一方、Amiga はフォトリアリスティックなカラーグラフィックスおよびビデオコンテントで活躍した。

Amiga では、ビデオの異なる解像度をターゲットにした特殊なニーズから、「複数スクリーン」の開発が起こった。これは、複数の同時に実行されているアプリケーションを異なる解像度およびカラー設定で表示できるようにし、それらを瞬時に切り替え、さらには同じ画面の部分部分に同時に表示することさえできるものだった。 Amiga ユーザは単一モニターで作業していたため、一度に複数の解像度を描画できるというハードウェアの性能を利用して、その画面上に複数の仮想ディスプレイをもつというアイデアの方がより理に適っていた。


Leopard Spaces


ページ 2: X Window System の仮想デスクトップ ; Windows での仮想デスクトップ問題; そして Mac OS X の新しい Spaces。

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