AppleInsider: Mac OS X Leopard に向かって: iCal 3.0 [Page 2]

Mac OS X Leopard に向かって: iCal 3.0 [Page 2]

By Prince McLean

Published: Wednesday, October 17, 2007 09:05 AM EST


Microsoft のデスクトップカレンダリングへの進出

Windows 95 のリリースと共に Microsoft は、Windows PC ソフトウェアライセンスを梃にして、新しい PC に Office 95 と Schedule+ のライセンスをバンドルするようにとベンダーに押し付けた。この動きによって、当時主流だった Lotus Organizer はデスクトップから放逐され、闇へと消えていくことになった。

Microsoft による PC 市場独占をめぐる合衆国 vs. Microsoft のケースで明らかになった事実によると、1995 年に IBM が Lotus Development を買収すると、Microsoft は「Windows 95 をより高い価格を課し、ライセンスを出し渋り、そしてテクニカル・マーケティングサポートを提供しないという方法で IBM PC Company を罰した」と言われている。

Office Wars 4 - Microsoft’s Assault on Lotus and IBM (オフィス戦争 4 - Microsoft による Lotus および IBM への攻撃) にもあるように、Microsoft は同社の DOS パートナーらに対して彼らのアプリケーションを OS/2 へと移植するようにと長い間要請していた。これは、Windows 95 の出荷時に Microsoft 社独自の Office スイートのみが唯一利用可能なソフトウェアにするための方便だった。 結果、Microsoft はわずか数年のうちに急速に Mac 向け開発者から PC 用アプリケーションの主要ベンダーへと変貌を遂げることになった。

Microsoft は 1994 年には Mac 用 Office の開発を中止し、Apple のプラットフォームは程なく遅れを取るようになり始めた。 1996 年までには、PC 業界のすべての潮流が WindowsMicrosoft に向かい、Mac は生産性アプリケーションの古びた資産と共に取り残されてしまった。 1997 年には、Microsoft は同社の独立して動作する Schedule+ カレンダーを、電子メール、カレンダー機能、メモ帳、予定表、そしてアドレス帳を一つのアプリケーションにした統合 PIM アプリケーションに置き換えた。 それが Outlook だった。 このソフトウェアは Claris Organizer とは異なり、ファイルビューアをも統合していた (下図)。


Leopard の iCal 3.0


NeXT、AppleClaris、そして Microsoft の交錯点

Apple を死のスパイラルから救い出そうと、1997 年に Steve JobsApple に返り咲いてまず手がけたのは、同社の健康を回復するという目標から外れたすべてのものを削ぎ落とすことだった。 こうして消えていったもののなかには、同社の古びた Claris アプリケーション群も含まれていた。

Claris Organizer は 1998 年に Palm へと売却され、同社の Palm ハンドヘルドオーガナイザーの Mac サポート改善のために Palm Desktop 2.0 として再売却された。

Apple はまた人気の Claris Emailer も切り捨てた。 同ソフトの主任開発者の Jud Spencer は MicrosoftMac Business Unit へと移籍し、Outlook Express そして後の Entourage の開発に携わることになった。この Entourage は、2001 年に Microsoft の Exchange グループが Outlook for Mac (下図) を断念した後に、OutlookMac 版として跡を継ぐことになったものだ。 この動きの背景は、Why did Microsoft replace Outlook for Mac with Entourage? (なぜ MicrosoftOutlook for MacEntourage に置き換えたのか?) に詳しい。


Leopard の iCal 3.0

Jobs は Claris を見限る直前、1998 年にリリースされることになる新しい Office for Mac の調達をめぐって Microsoft との交渉に臨んでいた。 MicrosoftAppleClaris アプリケーション群の開発中断について口を挟んだのか、とか、これらアプリケーションがもうこの時点でメンテナンスに値しなくなっていたのかは公には知られていない。 ただ、Jobs はもともと 1982 年に Mac 用アプリケーションの開発を呼びかけた際、 Microsoft をアプリケーション市場へと送り込んでもいた。

Microsoft は同社の人気 Mac アプリケーション群を取りまとめて、1991 年には Widows と共に PC へと移行させたが (そして 1994 年には Mac を見限っている)、Jobs は Microsoft を説き伏せて Office 98、Internet ExplorerOutlook Express、そして後には Entourage を再び提供させるようにした。 1998 年から 2002 年という時期、Apple は新しいオペレーティングシステムの開発と Mac プラットフォームの再建に苦心しており、独自のデスクトップアプリケーション群を送り出すとなれば多大なプレッシャーにさらされることになっていただろう。


Jean-Marie Hullot による iCal の登場

2002 年に Apple が同社の新オペレーティングシステムのメインストリームリリースとして Mac OS X 10.2 Jaguar を出荷した後、同社は独自のデスクトップ生産性アプリケーションシリーズの開発に着手した。 その第一弾に iCal 1.0 も含まれていた。これは同年後半、Jaguar ユーザに向けて無料のダウンロードとして提供された。

この新しい iCal は、Apple のクパチーノキャンパスでは開発されず、パリの Apple 従業員からなるグループによって開発されたという点でユニークだった。 このフランス人による iCal 開発チームは、Jean-Marie Hullot によって率いられていた。彼は 80 年代後半にオブジェクト指向のインターフェース開発というアイデアを持って Apple にアプローチをかけていた人物だった。

Mac のグラフィカルインターフェースは使いやすいが、そのためのアプリケーション開発は容易なものではなかった。 Hullot は、グラフィカルにアレンジ可能で、機能を割り当てることができるという、インターフェース要素からなるパレットを作成するための Interface Builder を考案した。 Apple の Jean Luis Gassée は Hullot をカリフォルニアへと招待したものの、彼は急に Apple のためには働きたくないと翻意してしまった。 代わりに彼は自らのアイデアを売りに出して、NeXT で Interface Builder をデモすることになり、Jobs は即座に彼を雇うことにした。

Interface Builder のおかげで NeXTSTEP プラットフォーム上では開発のスピードアップが可能となり、Tim Berners-Lee の World Wide Web といった開発にも大きな助けとなった。 Hullot はまた NeXTSTEP の Application Kit フレームワークの開発にも携わった。 数年の後に Jobs が Apple に返り咲くと、彼は Interface Builder のモダンバージョンおよびアプリケーション設計を簡単にするために以前開発したフレームワークを用いて、スケジューリングアプリケーションの開発をするよう Hullot を招待した。

iCal 1.0 (下図) のリリースによって、革新的なユーザーインターフェースをもつ複雑なアプリケーションが新しい Mac OS X では短時間で開発できることが証明された。 同アプリケーションは、複数のカレンダーのイベントを同じ表示領域の中に同時に表示するというコンセプトの先駆けになった。 他のユーザに対してカレンダーデータを公開したり、インターネット上でカレンダーを共有することも簡単にできるようになった。 また AppleScript にも対応しており、他のアプリケーションからも簡単にデータをインポートできるようになっていた。

Apple は iCalendar 形式をサポートして、システム間でカレンダーデータを共有できるようにした。この形式は、自由な / 急がしい時間の通知のやり取り、招待状の処理、イベントのスケジューリング、そして予定表の管理において相互運用性を高めるために、OpenText、IBM の Lotus、そして Microsoft によって開発されたものだった。


Leopard の iCal 3.0

その後程なく、Apple は、カレンダーやアドレス帳データを携帯電話や Palmバイスと同期するための iSync をリリースした。 2004 年までに Palm は同社の Palm Desktop ソフトウェアの開発を断念し、Windows 下で Outlook と同期することに注力の方向を変えていものの、 Apple による独自の同期ソリューション提供の動きは、Mac プラットフォームが Palm による突然の方向転換による影響を免れただけでなく、iPhone 開発への道を拓くことにもなった。


グループウェア・カレンダー機能

iCaliSync の登場によって、Mac プラットフォームの顧客の要請に応えることができたものの、iCal は中央のサーバとグループ・カレンダーを同期するための機能を提供していなかった。 グループウェア・カレンダー機能の市場は大まかに、ハイエンドのエンタープライズ市場では IBM の Domino サーバと同社の Lotus Notes クライアントに、ローエンドでは MicrosoftExchange Server サーバと Outlook クライアントに二分されていた。 Exchange の対抗馬としては、FirstClass や Meeting Maker -- Apple も動作の企業カレンダー機能として利用していた -- をはじめとする多数のカレンダー・グループウェア製品や、次のような Exchange に似た機能を持つ製品が存在した:

AppleLeopard のために、同社の iCal 開発を自社に取り込み、iCal クライアントを新しいカレンダーサーバと組み合わせることにした。 Apple は、カレンダー機能を電子メールサーバやディレクトリサービスに統合した一体型のグループウェア・システムにするのではなく、オープンな CalDAV 仕様に準拠した独立して動作するカレンダーサーバを構築した。 同社はまた、同社のカレンダーサーバを Apache ウェブサーバと同じようにオープンソースプロジェクトとしてリリースする計画を発表した。

この戦略によって Apple は、すべてのことを少しずつこなそうとする広範な視野を持った単一製品を送り出すのではなく、カレンダーサーバの要請に特化して焦点を当てることができるようになった。 さらに、オープンソースコミュニティに対して Exchange Server をエミュレートする代替製品を提供することにもなった。 Apache ライセンスのもとで標準に準拠した CalDAV サーバを提供することで、Apple は、コミュニティや Linux アドミニストレータらと同社のカレンダーサーバを共有できるだけでなく、存在する最高の電子メールサーバを利用できることができるようになった。


ページ 3 / 3: LeopardiCal 3.0; iCal Server; 開かれた規格; Leopard での Lotus Notes、Symphony; そして I'd Like to Exchange This.

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