AppleInsider: Mac OS X Leopard に向かって: Safari 3.0 [Page 2]
Mac OS X Leopard に向かって: Safari 3.0 [Page 2]
Published: Thursday, October 18, 2007 09:00 AM EST
Microsoft によるインターネットの発見
Microsoft は、Windows 1995 のリリースの遅れを利用して、同社の新しい MSN オンラインサービスを AOL キラーとして登場させようと懸命になっていた。 同社内部の一部 -- 特に J. Allard -- は、ウェブやインターネット標準の採用を求めていたものの、MSN のマネージャだった Russell Siegelman は代わりに独自の AOL 対抗馬として MSN に注力する決断を下した。それは AOL がしなかったこともした。 それは Windows へのバンドルだった。
AOL は同社のオンラインソフトウェアを無料のディスクとして地球上にあまねく行き渡らせなければならなかった。一方の Microsoft は単に、自社のオンラインソフトウェアを Windows 95 デスクトップに載せて、オンラインサービス市場全体を摑み取りさえすれば良かった。 しかし、AOL を完全に振り切るには遅すぎた。 オンラインでの実際の動きは、開かれたウェブで起こっていた。 1995 年半ばにこのことに気づいた Microsoft は、自社のオンライン戦略の舵を大きく切った。
Microsoft は Spyglass -- NCSA Mosaic プロジェクトから同時にスピンオフした商業プロジェクト -- からウェブブラウザ・テクノロジのライセンスを取得し、脅威だった Netscape を粉砕するために、Internet Explorer という独自ブラウザを開発した。 Microsoft は膨大なリソースを IE に投入し、開発およびマーケティングの両面において Netscape 凌駕した。 同社は IE を Windows にバンドル -- 自社の初期の同意判決に反して -- しただけでなく、同社のマーケティングを駆使して Netscape の替わりに IE を配布するようダイアルアップ ISP に強力に働きかけた。
Netscape の失墜
Netscape の戦略は、ちょうど Microsoft と同じく、ブラウザ市場を囲い込み、ウェブ開発を自社独自に HTML に施した非標準拡張に縛り付けることだった。これは、同社独自のウェブサーバソフトウェアの採用を押し付けるためのものだった。 その結果、Microsoft の IE と同じくらい消費者のためにも企業のためにもならない製品が生まれた。
Netscape が 1997 年から進めていた開発計画は崩壊し始めた。 同社のエンジニアらは、Navigator 4 を通じて使用してきた、重たくますます問題を多く孕むようになってきた Mariner コードベースの開発を継続するか、あるいは Gecko という名前の完全に新しいアーキテクチャを採用した新しいウェブレンダリングエンジンを採用するかを巡って対立していた。
Netscape は結局両方の道を採用するはめになった。 まず、Navigator 4 は、Communicator 4 と呼ばれる総合ソフトウェア製品によって置き換えられた。これは、電子メールクライアント、ニュースグループリーダー、アドレス帳、カレンダー、コラボレーションツール、プッシュクライアント、そして HTML エディタをひとまとめにしたものだった。 Netscape の古びて膨れ上がったブラウザは今や、誰も欲しがらないような役に立たない付属製品を抱えることになった。 Communicator は、ユーザのデスクトップ全体をカバーすることで、Microsoft に対抗しようとしていたのだった。
Apple の CyberDog
1992 年から 1994 年にかけて eWorld と呼ばれる類似のオンラインサービスを作り上げようと AOL と短い蜜月期間を過ごした後、Apple もウェブを発見した。そして、ウェブブラウザ、ftp クライアント、ニュース、そして電子メールサービスが一体となったインターネットツールの総合ソフトウェアである Cyberdog (下図) を発表した。これは、OpenDoc のアプリケーションコンポーネントとしてビルドされていた。
Cyberdog は、OpenDoc の可能性をデモンストレーションするという位置づけにあった。 その意味において、同総合ソフトウェアは OpenDoc が実際には存在しない問題への解決策であることを明らかにしてしまった。 誰もコンポーネントの寄せ集めは欲しがっていなかった。彼らは普通のアプリケーションが欲しかったのだ。 CyberDog は、Netscape の Communicator のような総合ソフトウェアに見られるような一体型で膨れ上がったコードを、よりコンパクトで速いコンポーネントで置き換えることを約束していたものの、同システムは、サポートライブラリを読み込まなければならなず、結果的には意図した利点をすべて帳消しにしてしまい、結局は置き換えようとしていたものよりも遅く複雑なものに成り果ててしまった。
Netscape と Microsoft との間での戦争の戦略的戦場として、Apple は Mac のために独自のブラウザを開発する必要に迫られないという贅沢を味わっていた。 Mac Office, $150 Million, and the Story Nobody Covered (Mac Office、1 億 5000 万ドル、そして誰も触れなかった物語) で指摘されているように、Microsoft は Office for Mac のリリース延期という脅しを使って、Apple に無理矢理 Mac デスクトップから Netscape を除外させたことから、Netscape はクロスプラットフォームブラウザを提供するという目論みにおいてハンディキャップを背負うことになった。
1997 年に Microsoft は、標準の Windows 用ブラウザとしてウェブブラウザ市場で急速に勢いを伸ばした後、あらゆるウェブベース開発を Windows と IE の独自機能に結びつけようと、様々な取り組みを導入していった。 Microsoft は同様に、Java 開発も Windows と IE ブラウザに結びつけるよう働きかけ、Java およびウェブ双方の相互運用性を打ち消し、両者が備えていた Windows を中心とした開発に対するクロスプラットフォームの代替としての可能性を実質的に帳消しにしてしまった。
1998 年 Netscape は、Communicator 4 の大幅なリビジョンとして Netscape 5 を送り出すという同社独自の計画を破棄した。 同社は、古くなった Mariner エンジンの開発を凍結し、替わりに Mozilla と呼ばれる新しいオープンソースプロジェクトを立ち上げ、オープンソースプロジェクトとして新しい Gecko レンダリングエンジンを送り出すという選択をした。 この決定は、当初予測していたよりもはるかに時間がかかった。
1999 年 AOL は、Netscape に対して 42 億ドルを支払った。これは、カスタムコンテンツを掲載した独自システムからウェブベースのものへと同社のサービスを近代化するにあたって、Netscape の新しいブラウザをプラットフォームとして利用することを見込んでのことだった。 このビジネスプランは、新しい Gecko ベースのブラウザ開発に問題が発生していたことから、複雑な様相を呈していた。 AOL は、結果を焦るあまり、Netscape チームに圧力をかけて Mozilla のベータコードを Netscape 6 として 2000 年に出荷させた。しかし結果として、盛大な失敗作となり、Netscape ブランドの評価をさらに失墜させることになってしまった。
これとは対照的に Microsoft は、IE の新リリースを 1997 年、1999 年そして 2001 年 (下図) と順調に送り出し、革新的な新しいブラウザ機能で Netscape を抜き去っていった。 Netscape は成し得たのは、コンシューマおよび企業ユーザに対して、古くバグが多く動作の遅い Communicator 4 か、未完成でバグが多く動作の遅い Netscape 6 という選択肢を提供することくらいだった。
Microsoft はすぐさま、Windows そして Mac の両プラットフォームにおいてブラウザ市場全体を制圧した。 それ以上競争も革新も必要なくなった Microsoft は、後に Mac プラットフォーム用の IE を廃止し、Windows でも 5 年後の 2006 年後半になるまで大幅なリビジョンをリリースすることはなかった。
2003 年、AOL は Netscape の残存をすべて廃止する決定を下した。 Mozilla Organization のほとんどは Netscape の従業員によって構成されていたため、Mozilla はプロジェクトとして迅速に自力で事態を打開するか、もがきながら沈んでいくかという事態に直面した。
2003 年当時の Mozilla は、まさに 1997 年当時の Apple と同じように、同プロジェクトの肥大した -- さらに究極的に過積載的な -- アーキテクチャを放棄し、実際に人々が使いたいと思うような製品を開発して送り出さなければならなかった。 Mozilla の Gecko レンダリングエンジンは、Netscape の焼け跡から立ち上がったものの、プロジェクト名を巡る一連のいざこざから、当初は Phoenix、次いで Firebird、さらには Firefox と名称を変えていった。
しかし、一旦この問題が解決すると、Mozilla の開発者らは、Firefox に革新的で無料のアップデートを定期的にリリースすることで、10 年前にオリジナルの Netscape ブラウザが成し遂げた成功と同じ道を辿り始めた。
人気の Apache ウェブサーバもまた NCSA Mosaic サーバの子孫で、Netscape や Spyglass といった商業向けのスピンオフとはならずに、Apache Software Foundation によって管理されるオープンソースプロジェクトとなった。 Netscape とは異なり、ウェブサーバでの Apache の独占的なポジションは Microsoft に脅かされることは決してなかった。
2003 年に AOL が残る Netscape の従業員全員をレイオフ、あるいは配置転換することで Mozilla Organization から手を引いた後、Mozilla は Apache が過去に行ったように、非営利の Mozilla Foundation として再編成された。 同財団は 2005 年、完全子会社として Mozilla Corporation を設立し、商業パートナーとの取引から収益を上げられるようにした。 Mozilla は今や、ほぼ完全に検索エンジン各社との契約によってサポートされている。
Firefox ブラウザは主に、Google と協力関係を結んでおり、同社は Mozilla に対して金銭を支払って、標準の検索エンジンのリクエストが同社のサーバに向かうようにしている。 Mozilla Foundation および Mozilla Corporation の連結収入である 5290 万ドルのうち、およそ 95% が、検索エンジンとの契約によるものだ。 Firefox は、市場シェアにおいて順調な成長路線を獲得し、現在ではブラウザ市場のおよそ 15% を占めている。 この一貫した成長を受けて、Microsoft は 2006 年に Internet Explorer 7 リリースして反応せざるを得なくなった。同社ブラウザに大幅なアップデートが施されなくなって実に 5 年が経過していた。
ページ 3 / 3: Apple による Safari の立ち上げ; そして Leopard の Safari 3.0。