AppleInsider: Mac OS X Leopard に向かって: QuickTime、iTunes、そしてメディア機能

Mac OS X Leopard に向かって: QuickTime、iTunes、そしてメディア機能

By Prince McLean

Published: Thursday, October 25, 2007 10:10 AM EST


オフィス文書のための新しい検索、ブラウジングおよびバックアップ機能 (Finder、Dock、Quick Look、Cover Flow、Spotlight、Time Machine) に加えて、コラボレーション用情報共有 (Mail、iChatiCal、Server) を新たにサポートすることで、Mac OS X Leopard は、QuickTimeiTunesPhoto Booth、Front Row、その他のアプリケーションでのオーディオ・ビデオメディアのサポートでも進化している。 ここでは、Leopard での新機能および、デスクトップ上でのリッチメディアの背後にあるアイデアの出自について見ていこう。

このレポートは、デスクトップ上でのリッチメディアの起源、歴史、そして成熟の過程にかなりのスペースを割いている。 時間のない人、あるいは Leopard で予定されている機能に興味のある人は、本レポートの ページ 4 へとジャンプされたい。


QuickTime の起源

コンピュータ業界に「NeXT (次の)」進化を提供する高度なワークステーションシステムを開発するために Steve Jobs が 1986 年に Apple 去った後、真に新しくワクワクするような何かの開発を夢見て、相当数のエンジニアやデザイナが彼の後を追って Apple から流出した。 NeXT はその焦点のほとんどを、Mac オペレーティングシステムが直面しようとしていた課題の解決に当てていた。 つまり、限られたハードウェアの移植性、貧弱なオペレーティングシステム基盤、そしてソフトウェア開発者を苦しめていた複雑性といったものだ。

NeXT が Mac プラットフォームの根底にある問題の多くを解決するための作業をしている間、AppleMac のアプリケーションレベルのソフトウェアの範囲を広げるための独自計画を継続していた。 1987 年 Apple の Color QuickDraw は、Mac のオリジナル描画ルーチンをより改良されたアーキテクチャへと置き換えた。 それは、既存のソフトウェアのほとんどと後方互換性を持ちつつ、カラーの画像や動画へのサポートが加えられていた。

ただ Color QuickDraw は当初、8 ビットピクセル深度 (256 色からなるパレット) しかサポートしていなかった。というのも、カラーグラフィクス用ハードウェアは当時すべて手が出ないほど高価だったからだ。 8 ビットカラーが高くなってしまうのは、オリジナルの Mac の 1 ビット白黒グラフィクスと比較して、少なくとも 8 倍の RAM が必要とされたからだった。加えて、他のものも動かせるようにするという必要性から、コンピュータの処理パワーは Mac そのもののメイン CPU と同等かそれよりも優れたものである必要もあった。


Leopard: QuickTime

1987 年時点、Macintosh II (上図) は 4000 - 5500 ドルで、640 x 480 ディスプレイ上で 256 色 (1600 万色のパレットから) をサポートし、2000 ドルほどで別に販売されていたビデオカードを利用していた。 しかし当時の状況はというと、3000 ドルした DOS PC は、640x350 で 16 色 (わずか 64 色のパレットから) を表示できる EGA をサポートしていただけだった (下図: 1987 年の Windows 2.0)。 IBM の新しい PS/2 ラインは、その年に新しい VGA PC 標準を導入し、16 色で 640x480 か 256 色で 320x200 のディスプレイを提供したが、これらハイエンドデスクトップ PC は 6000 - 11,000 ドルもした。 つまり、Macs が高かったわけではなく、高価なハードウェアがそうだっただけなのだ。

一部だけしか覚えていない分析家は、Mac は実際には当時でも他より値がはったわけではないことをよく忘れる。Apple は、ハードウェアという観点からすると、特にグラフィクス関連で、単により多くのものを提供していたにすぎない。 同様に、NeXT の 6500 ドルの Cube は当時の 6,500 ドルの PC と比べるべくもない。というのも、当時の PC は NeXT の足下にも及ばなかったからだ。 カラーグラフィクスがあまりにも高価だったので、当初 NeXT は第一世代のコンピュータを 4 ビットカラーと 16 階調からなるグレーを提供して出荷した。 これによって、特徴あるモノクロディスプレイになり、同機のビデオ RAM を 1120x832 という一般的にも大きなディスプレイ解像度にまわすことができた。 そして Jobs は、テクノロジが追いついてくるまでカラーを利用しないとのアナウンスを発表したのだった。


Leopard: QuickTime


ハードウェアの売り上げで洗練されたソフトウェアを実現

ハイエンドのクリエイティブユーザを対象とした Apple の利益率の高いハードウェア販売で、同社は新しいソフトウェア開発に多大の資金をつぎ込むことができるようになった。 Apple は 1989 年、モダンな 32 ビット (1600 万色) グラフィックを提供する 32 ビット QuickDraw をリリースした。 そのうちの 24 ビットは色情報に割り当て、8 ビットを透明度を定義するアルファチャンネルに確保していた。 この「アフファ部分」を利用することで、下のレイヤーを完全に隠すことなく個々の画像をお互いにレイヤーとして組み合わせていくことがグラフィクスでできるようになった。

Apple の 32-bit QuickDraw はまた、グラフィクス分野で当時提供されていた互換性のないハードウェアという混乱状況を標準化することにもなった。なぜなら互換性のないグラフィックカードは単に Mac 市場から放逐されてしまったのだ。 一方の PC 市場はその後も互換性のないグラフィックハードウェア、アプリケーションソフトウェア、そして限られたオペレーティングシステムのサポートのもとで苦難を強いられていた。 これは、Microsoft が 10 年という歳月をかけて Mac デスクトップを PC 上で複製しようとした理由の一つだった。同社は、非正方ピクセルや可能な限り安いハードウェアを売ろうとしていたベンダー間の非互換性といった問題を考慮に入れなければならなかったのだ。

1991 年、ちょうど Microsoft が同社初の商業的にまともな期待ができる Widnows 3.0 でグラフィカルデスクトップへと乗り出そうとしていた時、Apple の Bruce Leak は Mac System 6 に新しく予定されていたコンポーネントとして QuickTime 1.0 のデモを行い、大幅に市場の基準を引き上げていた。 Windows PC メーカーが単純なオーディオ再生を標準化することに手間取っている間に、QuickTimeMac 上でコマーシャル「1984」を再生して観衆を驚かせていたのだ。 同じ年の後半、Microsoft は Multimedia PC への取り組みを開始し、標準化された PC プラットフォームを送り出し、自社の Multimedia Extensions for Windows 3.0 を出荷して標準のサウンドカードおよび CD-ROM プレーヤーのサポートを提供した。

批評家らはすぐさま QuickTime を「ぎこちない猫の額ほどのビデオ」として笑いものにしたものの、QuickTime の背後にあるテクノロジは、必ずしもその目的のためではないハードウェア上で動作する最先端の動画プレーヤーというだけではなかった。それは、時間に関連するあらゆるものを再生するためのアーキテクチャだったのだ。 Quicktime は時間ベースのメディアのためのオペレーティングシステムとして機能した。 提供されていたのは:

  • オーディオ、ビデオ、テキスト、メタデータ、タイムコード、そしてその他時間情報からなる独立したトラックを格納するためのコンテナファイル。
  • それらすべてを全て同期させたままメディアトラックの表示、キャプチャ、そして編集するためのためのシステムルーチン。
  • 新しいファイル形式へのサポートを追加するためのコーデックプラグイン
  • コーデック形式間でコンテントを魔法のように変換するツール。
  • プレイバックインターフェース制御し異なるタイプのメディア間のインタラクションを調節しながら、オーディオおよびビデオ製品を作成するための開発環境。

デスクトップビデオパブリッシング

オリジナルの Macintosh は印刷出版にそのニッチを見いだしていた。 同社のグラフィカルインターフェースによって、一般的な DOS PC ではできないことができた。 Microsoft が 1990 年に Windows 3.0 の販売を開始すると、同社は自社の Mac Office アプリケーションを Windows へと移動させるだけでなく、Adobe や他の Mac 開発者らにも働きかけて彼らの印刷出版用ソフトウェアも Windows へと移動させ、市場において Apple が差別化できないようにし、非常に限られたハイエンド市場に閉じ込めようという意図を見せ始めた。 同時に MicrosoftDOS 開発者らに対して、彼らのアプリケーションを OS/2 へと移植し、Windows 上の第一世代のアプリケーションの多くが Mac からの移植版で、そしてそれらが Microsoft のものであるようになるようにした。この辺りのいきさつは How Microsoft Got Its Office Monopoly (Microsoft はいかにして Office の独占を手にしたか) に詳しい。

Apple は将来にわたっても自社のアドバンデージを維持すべく、QuickTime に投資していた。 印刷分野における Adobe の PostScript のように、QuickTime はマルチメディアアプリケーションの全く新しい可能性を切り開いた。 Apple は 1991 年に Mac System 6 のために QuickTime 1.0 (下図) をリリースした。そして 1992 年 Apple は、Windows のための QuickTime の開発をアナウンスして、自社のリーチを Macintosh を超えて伸ばし始めた。 ただし Windows 上では QuickTime は再生のみで、Mac プラットフォーム上のメディア開発は維持したままにした。


Leopard: QuickTime

Apple はまず MacQuickTime 2.0 (下図) を発表し、その後 1994 年に Windows 版を発表した。 QuickTimeMac System Software に固く統合されていたため、Windows バージョンには内部の Macintosh Toolbox コードの多くを直接移植したものを含まなければならなかった。 それは結果的に Windows を迂回して直接ビデオハードウェアにアクセスすることになり、結果、どちらのプラットフォーム上でも優れたパフォーマンスを発揮した。


Leopard: QuickTime


QuickTime Canyon スキャンダル

Apple が自社の管理下に置いておきたい PC 市場へと触手を伸ばしていることに懸念を感じた Microsoft は、その年の末に Video for Windows と呼ばれる競合製品をリリースした。 ところが、そもそも Windows はメディアを扱うように設計されていなかったことから、QuickTime のパフォーマンスには遠く及ばなかった。さらに VfW は、PC ハードウェアの非互換性および非一貫性にも悩まされた。それはちょうど 5 年前の GDI --- Mac の QuickDraw からヒントを得た Windows の描画ルーチン -- と同じだった。

Microsoft が 1993 年に QuickTime for Windows に対して無料ライセンスを要請した際、Apple は拒否した。というのも両社は、MicrosoftMac のデスクトップを盗用したことを巡って裁判で争っており、Apple はそこで再び厄介ごとを抱えたくなかったからだ。

一般的な PC 上でメディア作業の開発を促進したい Intel は、Apple が自社の QuickTime テクノロジの一部を Windows 向けに移植するにあたってサンフランシスコの Canyon と契約を結んでいたことを完全に把握しつつ、MicrosoftVfWQuickTime と同等のパフォーマンスを提供するようなビデオドライバの開発を Canyon にもちかけた。 Intel は、Canyon が Apple のコードを手にしていたことを知っていたにもかかわらず、Canyon に対してクリーンルーム開発をするよう指定せず、新しいコードを開発するにあたって非現実的なまでに短い時間しか与えなかった。 Canyon は単純に Apple のコードを Intel に渡し、それを受けた Intel はそのコードを Microsoft にライセンスした。

1994 年に Video for Windows が突如改良されると、Apple は調査を行い、MicrosoftQuickTime と競争するために単純に QuickTime からコードを盗用したことを突き止めた。 AppleMicrosoft を訴え、同社が盗用されたコード部分を配布しないようにする命令を勝ち取った。 この裁判はやがて、1997 年に両社の間でかわされた合意の一部として解決した。この経緯については Mac Office, $150 Million, and the Story Nobody Covered (Mac Office、1 億 5000 万ドル、そして誰も触れなかった物語) に詳しい。


ページ 2 / 4: QuickTime パラシュートの拡大; QuickTime の再誕生; Microsoft の攻撃的な姿勢; そして QuickTime に有利な状況展開。

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