AppleInsider: Apple の iPhone: 初期 (ただし詳細な) レビュー Page 4

* AppleInsider: Apple の iPhone: 初期 (ただし詳細な) レビュー Page 4

By Daniel Eran Dilger

Published: Monday, July 2, 2007 09:00 AM EST


あり得ないくらい小さい

iPhone を際立たせているもう一つのコンポーネントは、その小型化されたハードウェアだ。 マーケティング用の写真で iPhone は、Apple が用いていた大きなハンドモデルの中に置いても小さな本ほどのサイズに見えた。 Macworld Expo でガラスケースに展示されたプロトタイプを目にしていても、またこれまで六ヶ月間に取材した Apple 幹部のての中にあるのを見ていても、自分自身で手にしたときには驚きを隠せなかった。 そして、使い込むにつれ、ますます驚きの念を強くしのだが、「小さなフォームファクターでも大きく感じる」のがその大きな理由の一つのようだ。

iPhone はどのポケットにも大抵すっぽり収まるものの、実際に Web やビデオを見ている時には、超高密度スクリーンによって実際よりも大きく見えてしまう。 iPhone の多機能さは、不思議な感覚さえ沸き起こさせる小さなフレームの内側にしまい込まれている。

iPhone はそのサイズから予測できるよりも重く感じるので、その密度の高さに不満を述べる人もいる。 他の携帯電話は、余分なスペースが目立つような気がする。特に取り外し可能なバッテリを持っているタイプに。 私の Palm Treo はそれほど無駄なスペースはないものの、リサイクル箱から拾ってきた中古のプラスチックでできているかのように、動かすとギシギシと音を立てる。 一方の iPhone は、一枚のチタンから削りだした iPod のようだ。

信じられないほど薄く、壊れそうもないしっかりとしたデザインは、Apple が長年培った、あり得ないほど薄く見える iPod Nano のような、ますます小型化しさらにパワフルになっていくデバイスを作成する能力による。これは、低価格で大量生産されているものにしては不可能に思えるような薄さを実現している。 Apple はもちろん、調達する最高のチップセットを特定するためにトップベンダーと協力しており、iPhone は消費者向けの目標価格で究極の小型化を実現している。

とは言いつつ、この魔法の仕掛けを解き明かし、iPhone の薄さは実は賢いカモフラージュなのだ。 iPod と同じく、iPhone は斜めに丸みを帯びた角を用いて、実際よりも薄く見せているのだ。 実際には、CD ケースよりもクレジットカード一枚分ほど厚いのだが、鉛筆のように細く感じられる。 CD とクレジットカードが手元にあるなら、 この二つを重ねてみて、iPhone の実際の厚みを確認してみてほしい。 そして、この二つを重ねてみて、iPhone の実際のかっこよさを確認してみてほしい。

驚くほどほっそりとしているだけでなく、全体もあり得ないほど小さい。 iPhone はちょうど CD ケースの半分のサイズで、二台が CD ケースの内側に納まる。 こうしたサイズは、6 ヶ月前から Apple のサイトに掲載されていたが、実際に手にしてみると今でも衝撃的だ。 あたかも 10 年後の世界に住んでいる善意の科学者によって、なにか実験的なテクノロジーが届けられたかのような感覚になる。

下の写真は、iPhone とガム、鉛筆、そして iPhone よりも厚い 3G iPod の 30 GB 版を並べたものだ。


iPhone


あり得ないくらい堅牢な第 1 世代ソフトウェア

第 1 世代の製品につきものの、そして何らかの理由から、特に Apple でよく言われるものの一つに、初使用では常にイライラするような不具合や、練り込まれていない挙動に悩まされるため、マイナーリビジョンか第 2 世代の製品まで待った方が良いというものがある。

理論的にも実際的にもこうした傾向は確かにあるが、2001 年に私が購入した Titanium PowerBook の第 1 世代に関しては違っていた。2003 年に購入した初めての Power Mac G5 も違っていたし、2006 年に購入した第 1 世代の MacBook も違っていた。そして iPhone の場合でも違っているように見える。

同機のソフトウェアは、その安定感のみならず、そのパワフルな使いやすいさ、完成度、そして細部への配慮といった点で群を抜いている。 キビキビした「バネ」アニメーションのおかげで、コンタクト情報や楽曲リストをドラッグしても、デバイスを通じて魔法のセロハンケースのリールを直接いじっているかのように感じられる。

内蔵カメラで写真を撮ると、スナップショットがフォトライブラリのアイコンに落ちていき、すでに撮影された写真コレクションにどうジャンプすれば良いのか直感的に教えてくれる。 さらに詳しく注意してみると、撮影した写真はまず半透明になり、そして縮んでからライブラリアイコンの内部にあるホームへと落ちていく。

ゴミ箱をタップすると、その時選択されている写真が削除され、ゴミ箱の蓋が空いた状態になる。写真が削除されるとゴミ箱に音を立てて吸い込まれていき、蓋が閉まる。 ゴミ箱は少しだけ揺れさえする。あたかも大きな写真が内側を跳ねながら落ちていくかのように。

このデバイスには、インターフェースに必要のない装飾が満載されており、金を稼ぎ市場シェアを獲得しようという企業戦略ではなく、粋な職人がそのウィットにとんだ創作能力の粋を集めて世界を驚かせてやろうというようにさえ見える。 iPhone が存在するということが単にあり得ないことのように感じられるが、実際には私の手の中にある。

Apple はどうやってこうしたデザインを、事前に漏れることなく完成の域にまで持っていくことができたのだろう? iPhone は、画面下部にある Dock のようなアイコンセットなど Mac OS X デスクトップを彷彿とさせるが、慣れ親しんだウィンドウを用いたデスクトップからは大きく異なっている。

例えば、ファイルやウィンドウといった直接的な表現が存在しない。 iPhone では、「X」クローズボタンをタップして閉じることができる複数パネルを表示する Dashboard のようなディスプレイを利用して Safari 内で独立したブラウザ Web ページからなる複数のタブを管理している。 フルサイズの Mac で用いられているのと同じコアオペレーティングシステムと進化したグラフィクス能力を同梱しながらも、iPhone はデスクトップのミニ版であるとは伺わせない。 ただし、iPhone デザイナが下したエンジニアリング決定は、全ての人を喜ばせている訳ではない。次に、一部の人にとっては落胆の元となりかねない削除された多数の機能を見ていきたい。


iPhone


あり得ないくらい親しみやすく直感的

iPhone では、あり得ないくらいややこしく馴染み辛いとなりかねない、いくつかの新しいヒューマンインターフェースの約束事を導入している。これは特に、変化のためだけに不必要なまでに複雑で無意味な変更にイライラさせられてしまう人にとってはそうかもしれない。 ただ、替わりに、これらほぼ全てのコンセプトはあり得ないくらい直感的だ。

もっとも顕著なのはホームボタンだ。これは Windows の Start ボタンのようなものだが、深い階層までネストされた Windows のゾッとするような Start メニューを思い起こさせることはない。 実際、iPhone からはドロップダウン・メニューバーがほぼ完全に取り払われており、全体的に Windows Mobile 携帯電話よりもはるかにシンプルでよりアプローチしやすくなっている。

迷ったらホームボタンを押すだけで、見慣れたスタートアップ画面が表示される。 ホームボタンは、タスク切り替えにも使うことができ、通話中にホーム画面へとジャンプして Safari を起動し Web ページ検索をした後に、再びホームに戻って Mail を起動してメモを送信し、そして通話に戻って今度は 3 者によるカンファレンスコールをはじめることもできる。 この一連の操作を覚えることは全然難しいことではなく、まったく問題なく動いてくれる。

iPhone 全体のインターフェース挙動以外で、個々のアプリケーションはまた、微妙なアニメーションを用いた視覚要素や、リアルな質感、光沢のある仕上げ、そして透過表示をうまく用いることで、実デバイスのような親近感や未来的な感興を引き起すような、遊び心に富んだデザインを生み出している。

Notes は、よくあるような黄色いメモ帳を思い起こさせ、ありがたいことに悪名高い Comic Sans ではなく見やすい手書き風のフォント (Marker Felt フォント) を採用している。 仮想メモ帳の上端は、あたかも最初の数ページが破りとられたような雰囲気になっている。

各メモは、作成されたり編集されたりすると、時刻と日付が刻印されるので、最近触ったメモは、Notes にある「ドキュメント」リストの上の方に表示されるようになる。 メモのタブを高速で切り替えると、シャドウ効果を用いて実際の紙パッドをめくっているかのような感じを与えてくれる。 アイコンまで表示のきめが粗くなり、手でスケッチされたかのような感じになる。 ゴミ箱アイコンがメモを削除することや、封筒アイコンならメモ帳のテキストをコピーして新しいメールメッセージを作成して遅れるようになるということを理解するためのマニュアルは必要ない。

iPhone の Maps アプリケーションはすでに幅広くデモされている。Google 検索、Google の街路図や衛星写真地図とのスムーズな統合や、ローカルに保存されているコンタクト情報は、息をのむという表現がぴったりだ。 私が最寄りの郵便番号と「haircut (散髪)」を入力して検索したところ、地元の店だけでなく、私がよく行く散髪屋も地図中のピンで示してくれた。これは Google が私のコンタクト情報を相互参照して Google の検索結果と一致するものを見つけたからだ。


iPhone


あり得ないくらいスマート

Maps のより細かな部分として、検索された地点の周辺地域を適切にズームしてサイズ調整しながら表示する機能、検索場所に印をつけるために落ちてくるピンのアニメーション、ピンにラベルをつける透明なタブ、そして、太く不器用な指でもお互いに非常に近いポイントを選択できるようにしているスマートセレクションテクノロジーがある。

iPhone は、あなたが触れた場所のみならず、画面上で利用可能なさまざまなターゲーットを分析している。 これにより、大きな指では正確に区別することが難しい二つのターゲットを簡単に選べるようになっている。 特定のドットそのものを触ろうとするのではなく、大まかな方向に向けてつつくだけで良く、iPhone のソフトウェアは意図するターゲットの可能性をインテリジェントに決定する。

こうしたスマートな動作にはすぐに慣れることができ、それに及ばない機能を提供しているあらゆるシステムに対して新たに不満を感じることになる可能性すらある。 Apple は単に携帯電話市場のみならず、消費家電の分野における全てに対する基準を引き上げたのだ。

こうしたインテリジェンスはテキスト入力にまで及んでいる。 私が所有する Palm Treo で Web を閲覧しようとする際にもっとも不満を感じることの一つに、URL を選択して削除することができなということがある。 iPhoneSafari には、既存の URL を一回の操作で消してくれる削除ボタンが付いている。 ただし URL の一部を削除したり編集したりするのは簡単ではない:iPhone には、置き換えのために任意のテキスト範囲を選択して、そのテキストのコピーや貼付けをする機能が一切備わっていないのだ。

Apple の Web サイトによると、ユーザの入力ごとに、iPhone は入力された文字を確認し、次に入力される文字の可能性を判断する。 例えば W あるいは R を入力した場合、文脈上なんの意味も持たないが、iPhone はここで次に入力されるのは E だと予測して、それに応じてキーボードマッピングを調節する。 とは言え、実際の言葉として意味をなさない特定の文字列を入力することにも大した問題は感じなかった。もっとも、iPhone は訂正候補を示そうとはしたが。

iPhone はまた、テキストカーソルをより正確に合わせられるように、拡大鏡インターフェースを提供している。 テキスト近くを触ってホールドすれば拡大鏡が表れて、特定の文字との間にカーソルを正確におけるようにする。 拡大鏡はまた、微妙な透過表示や周辺領域をぼかして、仮想光学レンズの鮮明さをより際立たせており、iPhone が馴染みの機能と未来的な機能をうまく混在させているもう一つの例となっている。
画像 (可能なら)


あり得ないくらいちょっとした欠陥?

後段では iPhone に欠けているより顕著な機能について取り上げるが、予測可能な機能に関してはほとんど欠けた機能はないように見受けられる。モバイルデバイス市場初登場であるだけでなく、これまで携帯電話の製造経験がまったくない会社によって提供される第 1 世代の製品としては、奇妙でありにわかには信じがたいことだ。

iPhone は、プラットフォームおよびその全アプリケーションの両面において、1.0 リリースとしては驚くほど安定している。 Apple は、昨年 Intel プロセッサに移行した際のと同様の正確さと確実さをもって、Mac OS X の大部分を iPhone の ARM プロセッサ向けに移植してきた。 これは非常に大きな作業で、OS の複製を行えるということは、Apple のエンジニアリングおよび品質管理の健全さを裏付けるものと言える。 だからといって、iPhone 上でのアプリケーションには一切問題がないという訳ではない。 例えば、クラッシュした場合、どうなるのだろう?

多くの場合、ユーザは一切気づかないかもしれない。 私は、忙しくアプリケーション間を移動しながら、二回ほど、バックグラウンドで再生している音楽が途切れるという経験をした。 私は初め、プレイリストの最後に達したのだろうと思ったのだが、続いて、ブラウザのセッションもクラッシュしていることに気づいた。 iPhone は単純にホームスクリーンに戻り、私が、実際に何が起こったのか気づくまで Web ページをリロードし続けていた Safari を再起動するのを待っていた。 iPhone そのものは、問題が発生したことは報告せず、ただ復帰しただけだった。

iPhone を同期した後になって、Apple にクラッシュレポートを提出するかを確認してきた。 クラッシュレポートそのものは、"OS X 1.0 (1A543a)" を実行する "iPhone1,1" とするハードウェアであることを示す情報を除いて、ほとんど何も情報が含まれていない。Apple は実際に iPhone の ARM OS を、Mac OS X Tiger 10.4 に関連する内部のメジャーバージョンである 8 ではなく、バージョン 1 にある "OS X" であるとしてみなしているようだ。


iPhone

通常、1.0 にある製品は、限定された機能セットになっているものだ。欠けているものは、限られたリソースによるもので、将来のモデルで提供されるのがお約束だ。 ところが iPhone では、欠けていると見られる多くのものが、実はエンジニアリングによる決定で意図的に排除されたものであるようなのだ。


モバイル用に最適化

欠けているもので目立つのは、テキスト入力に関するものだ。 Apple は、Command -X -C -V というグラフィカルなユーザインターフェース慣行の発明者だが、選択、コピー、ペースト、またはテキストの置き換えという方法を意図的に排除している。 これらテキスト入力のコンセプトは Mac よりも以前から存在し、ワードプロセッシング全般で中核的なものとして捉えられている。 一方 iPhone でできるとことといえば、カーソルの挿入と、一回のキー押しで複数の文字が消せる、あるいはエントリー全体を消し去ることくらいだ。

なぜ Apple はこれほどまでに明らかなものを意図的に排除したのだろう? 答としては、iPhone が携帯電話として最適化されており、コンテントの消費、短いメモの記録、そして検索項目の入力を目的に設計されているところにあるのではないかとみられる。 iPhone は 1980 年代のデスクトップの携帯版ではない。それは設計目的ではないのだ。

これは Microsoft が 90 年代初頭の Windows for Pen Computing や 90 年代半ばの陽炎のような WinPad、そして 90 年代後半の Windows CE で幾度も挑戦して失敗した "Mobile Windows Everywhere" というコンセプトとは大きな違いだ。 WinCE は、かれこれ 10 年間にわたって Windows デスクトップを小型フォームファクタに押し込めようというアイデアの妥当性を見いだしあぐねており、何億ドルという規模の損失を計上している。

Apple が同じ轍を踏まないようにするのは、驚きでもなんでもない。 iPhone は小型 Mac ではなく、便利なモバイル関連の作業もこなせる携帯電話として位置づけられている。携帯可能な筐体に収まるように機能を削いで、たまたま電話機能もこなせるようなデスクトップ、ではないのだ。

異なる製品カテゴリに収まるように無理をするのではなく、特定の目的に絞って設計するというのは、iPhone をめぐるすべてのものの背後にある差別化コンセプトだ。 これによって、他の製品と直接比較することが難しくなる。なぜなら、多くのデバイスが無目的に習慣的な発想を周到しているからだ。

こうしたことはさらに、慣例に従うことを良しとする盲目的な支持者が、欠けている目立つ「機能」のリストを作成することで iPhone を却下することも簡単になっている。iPod に欠けている「機能」のリストと同様だ。内蔵のラジオもないし、Windows Media ファイルの再生機能もない、そして廃棄可能なバッテリも使えない ...


テキスト入力:Think Different?

システムワイドで複雑なテキスト入力、コピー・ペースト機能がないことで、iPhone は大幅に簡素なものとなっている。 つまり、ユーザにも異なるアプローチを要求している訳だ。 Notes はワープロではなく、メモ帳と同じような方法でメモを取れるように設計されている。 これによって Notes はシンプルで簡単に使えるようになっている一方、iPhone で長い文書を作成することはかなり難しくなっている。

iPhoneApple は、文書作成はモバイル上ではあまりお奨めできないと仄めかしているようだ。 多くの人が同意しかねるかもしれないが、親指だけでエッセーを書きたいと思う人の数は、間違いなく、そうした要求に応えるために携帯電話の応答性を犠牲にしても良いと考える人よりは少ないはずだ。

Microsoft だけが、差別化のために機能を削るというコンセプトを把握できないでいるモバイルソフトウェアメーカなわけではない。 Sony Ericsson は、より大きな可能性を持っていように見え、その実、ほとんどの人にとって実際にはまったく使用に耐えないソフトウェアを携帯電話に搭載してくることでは特に悪名高い。

その例の一つに Sony の呼び出し音コンポーザがある。これは、携帯電話のユーザがカスタムの呼び出し音を作成できるようにするものだ。 ところが実際には、音楽作成は、携帯電話に適した機能ではない。 結果、アプリケーションはほとんど誰も使いこなすことができないまま、スペースを占領している。 この他にも、言及にも値しないモバイル用ジャンクウェアが多数存在する。

エンジニアリングとは、提供する価値とそれが及ぼすコストの両面に基づいて、何を含めるのか、そして何を含めないのかを判断する作業だ。 Apple は、価値を求めて妥協することなく iPhone 1.0 には鍛え上げられたアプリケーションを搭載してきた。これらアプリケーションはすべて、うまくこなせると約束した作業をこなし、実現できる範囲を超えた欲張りをしているものは一つとしてない。

iPhone ではソフトウェアを経由してその能力をアップグレードできると言う能力と共に、第一世代でも驚くほど完成度が高いだけでなく、さらなる成長のために無限の可能性を確保することができる。 iPhone は、意図的に外されている機能によって、実はさらに強力になっているのだ。

ページ 5:"欠けた機能" と "まとめ"

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