AppleInsider: Mac OS X Leopard に向かって: Mail 3.0

Road to Mac OS X Leopard: Mail 3.0

By Prince McLean
Published: Monday, October 15, 2007 11:00 AM EST


Mac OS X の Mail は、AppleMac OS X の初めてのビルドに搭載して以来、順調に成長を続け、現在では Mac における最高のメールソリューションとなり、もちろんのことながら最も高い人気を誇る。 Mac で電子メールを扱うための標準アプリケーションとして、Mail は多くの機能リクエストが寄せられており、期待通りの動作をしないと多くの不満が寄せられる。 例えば、TigerMail 2.0 は、機能をバブルにまとめた非標準的なツールバーアイコンを用いたことで、皆が息をのんだ。 AppleMac OS X 10.5 Leopard に向けて Mail を大幅にアップデートし、メモや To Do リマインダ、RSS フィード、データ検出、そして HTML ステーショナリを導入している。 ここではその新機能を見ていこう。

このレポートは、Apple の Mail クライアントの起源、歴史、そして成熟の過程にかなりのスペースを割いている。 時間のない人、あるいは Leopard で予定されている機能に興味のある人は、本レポートの ページ 3 へとジャンプされたい。

Mail の起源
80 年代初頭、AppleMacintosh Office と呼ばれる、ファイル共有、印刷、そしてメッセージングのためのオフィスを中心としたシステムの概要を定める作業を開始した。 Steve Jobs は果敢にも新しい Mac でビジネス分野をターゲットに据え、ネットワークでつながれたワークステーションクラスのマシーンによる洗練され統合されたシステムを導入することで、当時は非常にシンプルだった IBM DOS PC を粉砕しようとしていた。
Apple CEO の John Sculley は、Jobs の Mac に対する計画によって企業の裾野が広がり過ぎて、金の卵を産む存在だった Apple II が手薄になるのではないかと恐れていた。 Jobs はこの権力闘争に破れ、Apple からの撤退を余儀なくされ、先進の高度に統合されたビジネスマシーンとしての彼のビジョンを NeXT に持ち込んだ。
一方、Sculley の Apple は、長期にわたって Macintosh Office 計画のさまざまな要素の発表を遅らせた。 この遅れによって、Apple はビジネス分野に対して影響力のある製品を持たないまま、DOS PC に抵抗することなく敗退を余儀なくされ、Mac はグラフィックデザイナのためのニッチな製品としての役割を押し付けられることになった。

Macintosh Office
Job の Macintosh Office が当初思い描いていたのは、非常に単純なネットワークキングとファイル共有をまず提供し、Mac をその器械程度の出自から Unix ベースの「BigMac」ワークステーションおよびサーバプラットフォームとして移行させるというものだった。 Apple は、この方向へと動くために AT&T から商用 Unix のライセンスを取得した。 このより強固なオペレーティングシステム基盤によって、メッセージングやコラボレーションにおいて更なる前進が可能になった。
初期に出荷されていた Mac では AppleTalk ネットワークキングがサポートされており、複雑な設定を施すことなく Mac でファイルや 1985 LaserWriter といった高価な周辺機器を共有できるようになっていた。 Jobs は Macintosh Office というアイデアを、1985 年のスーパーボールで放映された広告 Lemmings として発展させた。ここでは、目隠しをされたユーザが崖へと行進していくなか、ひとりのユーザが意を決して目隠しを外して辺りを見回すというものだった。
この計画のその他の要素は、特に Jobs が Apple を離れ、後任となった Jean Louis Gassée がこの計画を「Macintosh Orifice (Macintosh の開口部)」とこき下ろすに至って、なかなか登場しなかった。 Gassée は Apple がパートナーシップを結んでいたワークステーションベンダー Apollo との関係を解消した。この企業は、Unix ライクな Domain/OS を実行するワークステーション系列に Mac デスクトップを移植する作業を行っていたが、 この動きによって不意打ちを食らった Apollo は新たな戦略へとなだれ込んだものの、ついには HP に買収された。
Gassée はまた、Mac デスクトップを自社の Unix ワークステーションで使えるようライセンスに興味を示していた AT&T や他のベンダーにも肘鉄を食らわせた。 オリジナルの Mac が登場した四年後、Sculley の Apple は A/UX と呼ばれる Mac のための独自の Unix ディストリビューションをリリースしたが、1992 年のバージョン 3.0 になるまで Mac System 7 デスクトップと統合されることはなかった。
Apple はまた、1988 年にスタンドアローンな AppleShare ファイルサーバをリリースし、その後間もなくして、同社のサーバーラインアップを Apple Open Collaboration Environment (AOCE) と呼ばれるメッセージング・コラボレーションシステムへと拡張する計画を発表した。 しかし、その時点で Apple の過剰設計された計画が受け入れられる余地はほとんどなく、同社は実用に堪えるテクノロジーを実際に開発する上ではほどんど仕事らしい仕事ができないでいた。 大局的に見ると、これはクラシックな Mac OS がサーバプラットフォームのニーズに答えられるような設計にはなかったことが原因だった。
Sculley のもとで Apple は、サードパーティ開発者の邪魔にならないようにと、アプリケーションソフトウェアからほとんど手を引いてしまってもいた。 QuickMail、FirstClass、そして Microsoft Mail が Mac のための初めての電子メールプログラムとして登場し、コンピュータ上での初めてのグラフィカルな電子メールクライアントともなった。 Microsoft は後に同社の Microsoft Mail を Windows へと移植し、PC で非常に人気の高かった DOS ベースの cc:Mail と覇権を競った。

Steve Jobs の NeXTMail
Apple を去った後、Jobs は自ら Macintosh Office で目指したものを NeXT で完成させる。 同社の NeXTSTEP オペレーティングシステムは、高度なネットワークキングやコラボレーション機能を提供することを視野に入れて、Unix 基盤の上に開発されていた。
1988 年という早い時期に NeXT が実現していた進化に NeXTMail (下図) がある。 これは、ユーザが複数のフォントでリッチテキストを用いたり、グラフィックや添付ファイルを埋め込むためにドラッグ・アンド・ドロップを利用したり、Lip Service と呼ばれる内蔵の音声読み上げ機能を用いたオーディオ録音さえ含むことができるようになっていた。 さらに、「mailfaces」という、メールのアドレス情報の写真を収集してデータベースを構築して、受信メールと一致させるという機能をサポートしていた。

Leopard の Mail 3.0
NeXTMail はまた、企業のディレクトリサービスを参照してアドレス帳を検索することもできた。これは Microsoft は同社既存の Exchange Server 製品で同様の機能を提供すると約束した何年も前のことで、実際は 1996 年になるまで実現されなかった機能だ。 ただ、その頃には NeXTSTEP は、Microsoft の独占的なコントロールで強固に固められていた PC 市場で、独自のオペレーティングシステムを販売しようとする試みを諦めて数年が経ち、メンテナンスモードになっていた。
新しい NeXTMail ユーザは、Jobs による音声レコーディングを含んだ歓迎の電子メールメッセージと彼の署名で迎えられた (下図)。 Jobs は、1992 年の NeXTSTEP Release 3 Demo プレゼンテーションで、NeXTMail の高度な機能をデモンストレーションしている (現在は YouTube で公開されている)。

Leopard の Mail 3.0

Microsoft の Exchange と Lotus Notes
Lotus Development は、ユーザを Lotus Notes に取り込むことを狙って 1992 年に cc:Mail を買収した。 ところが、この移行によって、シンプルなメールしか必要としない多くのユーザに、はるかに複雑な Notes グループウェアソフトウェアを押し付けることになった。 これにより、より控えめな機能を持つ製品が登場する余地が生まれた。
1991 年 Bill Gates は、Cairo のプレゼンテーションで NeXTSTEP の機能に匹敵する取り組みをまとめた。この Cairo とは、Windows NT の初めてのリリースとなるオペレーティングシステム製品を指していたコードネームのことで、後に、Gates が言うところの「製品ビジョン」へと萎んでいったものだった。 1997 年までに Microsoft は Cairo について取り上げることを完全に止めたが、その一部の要素は同じ 90 年代に実際の製品へと結実していった。
そのうちの最も重要なもののひとつは、1996 年にリリースされた Exchange Server と Exchange Client 電子メールプログラムだった (下図)。これは後に、WindowsOutlook および MacintoshEntourage となった。 Exchange のリリースに際し Microsoft は、同社既存の MacMicrosoft Mail 製品を StarNine に売却した。
Exchange は、多くが Lotus cc:Mail を押し付けられ、Notes へのアップグレード以外シンプルな移行パスのなかった PC 市場のローエンドを席巻した。 Exchange はそれ以降、市場を上り詰め、現在は IBM が所有する Lotus Notes と直接競い合うまでになった。

Leopard の Mail 3.0

ページ 2: Apple の PowerTalk と CyberDog; Apple における NeXTMail; Mac OS X の Mail; そして Tiger Mail 2.0

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